バングラデシュに逃れたロヒンギャの人々と女子教育

ミャンマーと国境を接するバングラデシュの南端に位置するコックスバザール県には難民キャンプがあります。そこには、91万人を超えるロヒンギャ難民が暮らしています。ロヒンギャの人たちは、現在のバングラデシュ・チッタゴン地域の方言に近い、ロヒンギャ独自の言語文化を持つ民族で、その起源は600年前までさかのぼることができると言われています。当時、ロヒンギャの人たちは、現在のミャンマー・ラカイン地域に多く住んでいました。しかし、第2次世界大戦が終わり、イギリスの植民地時代が終わり、インドの分離独立、ミャンマー連邦の独立、さらにはバングラデシュのパキスタンからの独立戦争といった出来事が続き、ロヒンギャの人々を取り巻く環境は変化していきます。

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バングラデシュ人民共和国は、南アジアに位置する国です。14万7,000km2の国土面積に対し、人口が約1億7,119万人と、人口密度が世界第6位です。バングラデシュに住む人々の民族はベンガル人が大部分を占めますが、ミャンマーとの国境沿いのチッタゴン丘陵地帯には、仏教徒系少数民族も住んでいます。1947年にパキスタンの一部(東パキスタン)としてイギリスから独立をし、その後1971年にはパキスタンからの独立戦争に勝利し、現在のバングラデシュとして独立しました[1]。

クリーム色がバングラデシュであり、首都はダッカです。(参考:外務省)

バングラデシュとミャンマーの状況

ミャンマーと国境を接するバングラデシュの南端に位置するコックスバザール県には難民キャンプがあります。そこには、91万人を超えるロヒンギャ難民が暮らしています。ロヒンギャの人たちは、現在のバングラデシュ・チッタゴン地域の方言に近い、ロヒンギャ独自の言語文化を持つ民族で、その起源は600年前までさかのぼることができると言われています。当時、ロヒンギャの人たちは、現在のミャンマー・ラカイン地域に多く住んでいました。しかし、第2次世界大戦が終わり、イギリスの植民地時代が終わり、インドの分離独立、ミャンマー連邦の独立、さらにはバングラデシュのパキスタンからの独立戦争といった出来事が続き、ロヒンギャの人々を取り巻く環境は変化していきます。

ロヒンギャの人たちは、1970年代以降、幾度かにわたり大規模に故郷からの避難を強いられてきました。多くのロヒンギャの人々を受け入れることとなった隣国バングラデシュは、国連の難民条約を批准(国として守ることを約束)していません。そのため、避難してきた人々を難民として保護するかどうかは、状況に応じて判断することとしています[2][3]。

ロヒンギャの子どもたち

サンジダさんは16歳のロヒンギャ難民で、両親ときょうだいとともにバングラデシュのコックスバザールのキャンプで暮らしています。サンジダさんと彼女の家族は、母国ミャンマーで暴力に直面したため、2017年にバングラデシュに逃れてきました。ミャンマーに住んでいたとき、サンジダさんは学校に通っておらず、コーランしか知りませんでした。彼女は、近所のほかの子どもたちのように、もっといろいろなことを学び、探求したいと思っていましたが、家族の伝統のため、学校には通えませんでした。

2020年3月23日、バングラデシュのコックスバザールで、セーブ・ザ・チルドレンはサンジダさんをインタビューしました。以下にサンジダさんと、サンジダさんのお母さんの声の一部を紹介します[4]。

暴力によって私たちはミャンマーの家を離れました。コックスバザールに来て、難民キャンプに移動するとき、制服を着て学校に行く同年代の女の子をたくさん見ました。こんな状況でも、私はうれしくて笑顔になりました。
キャンプで数カ月生活した後、何人かの先生が私たちの避難所を訪ねてきて、私ときょうだいを学校に通わせることについて両親に話をしました。両親は弟を学校に行かせることに同意しましたが、私が学校に行くことには同意しませんでした。私も学校に行きたいと両親に言う勇気はありませんでした。でも、よく弟に何を学んだか聞いていました。
ある日、母に学校に行きたいかと聞かれました。私はとてもうれしかったし、驚きました。すぐに行きたいと答えました。すると母は、セーブ・ザ・チルドレンが学びたい女の子たちのためにいくつかの家でラーニングセンターを始めようとしており、そのうちのひとつに我が家が選ばれたことを教えてくれました。
クラスで初めて立ち上がって詩を発表した日、それが終わるとみんなが拍手してくれたのを今でも覚えています。それを家の中から聞いていた父が、夕食のときに私のことを誇りに思うと言ったんです。そう言われたときは本当にうれしかった。その瞬間、両親をもっと喜ばせるために、教師になって人に教えようと決心しました。今、私は英語、数学、ビルマ語、ライフスキルを学んでいます。

サンジダさんのお母さんは、次の通り話します。

私たちの家族では、女性は勉強する必要はなく、家族の世話だけをしていればいいと思っていました。家族のしきたりのせいで学校には行かせませんでした。でも、家の中で教えるという話を聞いて、試してみることにしたのです。その結果は素晴らしいものでした。教育がこれほど重要だとは思っていませんでした。
私は彼女から衛生や児童婚、子どもの権利などについて多くのことを学びました。私たちは知識のない暗い世界で生きてきたのだと気づかされました。
そしてそれが、今日私たちがこのような危機に陥っている理由なのです。私は今、サンジダからビルマ語で自分の名前を書くことを学んでいます。もっと早く学校に行かせてあげればよかった。彼女の母親であることをとても誇りに思います。


[1] 外務省 アジア バングラデシュ人民共和国
[2] ワールド・ビジョン・ジャパン ロヒンギャ問題について考えよう
[3] AAR Japan ロヒンギャ難民問題―世界で最も迫害された少数民族
[4] セーブ・ザ・チルドレン・バングラデシュ ケース・ストーリーより

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